2010年 11月 10日
ズービン・メータ イスラエル・フィル
名古屋クラシックフェスティバル
[出演]
指揮:ズービン・メータ
イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
[曲目]
ストラヴィンスキー/「春の祭典」
マーラー/交響曲第1番「巨人」
[アンコール]
ヨハン・シュトラウス/「常動曲」
チケットを取った6月には11月、なんて先なんだろう、、、と思ったけれど、月日が経つのは本当に早く楽しみはあっという間に過ぎ去ってしまう。楽しい事は先延ばしにせずどんどん楽しむべきだ!と改めて思いました。日々周りに振り回されながら過ごしていれば尚の事。無理矢理チケットを取ってしまえばあとは何とかなるものです。
今回の演奏会は珍しく予習をして行きました。今回のプログラムは特にマーラーとストラヴィンスキーなので・・・。春の祭典はディズ二ーのファンタジアのイメージ。恐竜好きの子供たちが毎日のようにレーザーディスクで観ていたので、恐竜のイメージを払拭させるためにも、曲の背景をあらためておさらい。(ファンタジアの音楽で作曲家が生存していたのはストラヴィンスキーのみであり、彼は後に映画本編を見た際、内容が自分のイメージと大きく異なっていたことに衝撃を受けたと言われている)
ウィキペディアより引用
こんなエピーソードが興味深い。そして少し前にシャネル&ストラヴィンスキーを観ていたイメージも重ね合わせて。。。
演奏のほうは冒頭しばらく経ってからの、弦楽器でのザッザッザッでもう鳥肌、、、。弦楽器を美しく歌わせ、深い呼吸でオーケストラの音をたっぷりと響かせる、と定評があるズービンメータならでは、と感じます。
マーラー、交響曲1番「巨人」。若きウェルテルの悩みに共通すると、マーラー自身が言っていると言われるジャン・パウル著教養小説からのタイトル。マーラー28歳、この若き才能が書かせた作品は当時大衆の評はよくなかったらしい。。。理解しようと心を開いて聴いていれば受け入れられても、途中葬送行進曲が挿入されていたりするのは賛否あっても仕方がないのかもしれません。でも日本人の私はメランコリックで民族音楽的な響きに惹かれます。4つの楽章に分かれているはずが、1楽章か、2楽章をどこかで切ったような気がしました。でも3楽章から4楽章はそのまま続けて演奏したので結局4つに分かれていたのですが、、、。4楽章は何度も何度も大きな盛り上がりの波を繰り返しながら、若々しく堂々と勝利を誇るかのようなラスト。ブラボーの嵐でした。
マーラーは交響曲第5番以外、あまりじっくり聴く事が無くて苦手意識がありました。でも、作曲家のどんな時期に書かれたのかを知っておくだけでも楽しみ方が深くなります。こうやって、曲を知れば知る程好きになるのですね。
[出演]
指揮:ズービン・メータ
イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
[曲目]
ストラヴィンスキー/「春の祭典」
マーラー/交響曲第1番「巨人」
[アンコール]
ヨハン・シュトラウス/「常動曲」

チケットを取った6月には11月、なんて先なんだろう、、、と思ったけれど、月日が経つのは本当に早く楽しみはあっという間に過ぎ去ってしまう。楽しい事は先延ばしにせずどんどん楽しむべきだ!と改めて思いました。日々周りに振り回されながら過ごしていれば尚の事。無理矢理チケットを取ってしまえばあとは何とかなるものです。
今回の演奏会は珍しく予習をして行きました。今回のプログラムは特にマーラーとストラヴィンスキーなので・・・。春の祭典はディズ二ーのファンタジアのイメージ。恐竜好きの子供たちが毎日のようにレーザーディスクで観ていたので、恐竜のイメージを払拭させるためにも、曲の背景をあらためておさらい。(ファンタジアの音楽で作曲家が生存していたのはストラヴィンスキーのみであり、彼は後に映画本編を見た際、内容が自分のイメージと大きく異なっていたことに衝撃を受けたと言われている)
ウィキペディアより引用
この作品の初演は1913年5月29日にパリのシャンゼリゼ劇場でバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)の公演として行われた。振付はヴァーツラフ・ニジンスキー、オーケストラの指揮はピエール・モントゥーであった。
ストラヴィンスキーは、ニジンスキーにまず音楽の基礎を教えることから始め、毎回音楽と振付を同調させるのに苦労した。不安になったバレエ・リュスの主宰ディアギレフはダルクローズの弟子ミリアム・ランベルク(マリー・ランベール)を振付助手として雇い入れた。しかし、その後も120回ものリハーサルを要し、振付及び指導の経験がほとんど無かったニジンスキーはしょっちゅう癇癪を起こした。しかし、ランベルクによれば、ニジンスキー自らが踊って見せた生贄の乙女の見本は実にすばらしく、それに比べて初演で生贄の乙女を踊ったマリヤ・ピルツの踊りは、ニジンスキーの「みすぼらしいコピー」に過ぎなかったという。
初演にはサン=サーンス、ドビュッシー、ラヴェルなどの錚々たる顔ぶれが揃っていた。曲が始まると、嘲笑の声が上がり始めた。そして始まったダンサーたちの踊りは、地味な衣装のダンサーの一群が舞台を走り回ったり、腰を曲げ、首をかしげたまま回ったり飛び上がるという、従来のバレエにはない衣装と振付であった。野次がひどくなるにつれ、賛成派と反対派の観客達がお互いを罵り合い、殴り合りあい野次や足踏みなどで音楽がほとんど聞こえなくなり、ついには、ニジンスキー自らが舞台袖から拍子を数えてダンサーたちに合図しなければならないほどであった。ディアギレフは照明の点滅を指示し、指揮していたモントゥーが観客に対して「とにかく最後まで聴いて下さい」と叫んだ程だった。ストラヴィンスキーは自伝の中で「不愉快極まる示威は次第に高くなり、やがて恐るべき喧騒に発展した」と回顧している。
有名なこの初演時のエピソードだが、西洋クラシック音楽において、特に初演時に騒動がおきたことはこの曲に限ったことではない。他に近代の曲では、シェーンベルクの弦楽四重奏曲2番でも、初演時に大騒動になった記録が残っている。また指揮者の岩城宏之は、ヨーロッパで聴きにいった現代音楽の演奏会で何度か、聴衆間で怒声が飛び交う事態になったことがあるとエッセイに記している。またこの《春の祭典》初演時の騒動は、主にバレエの衣装と振り付けが革新的だったことによる。
当時の新聞には「春の"災"典」(Le "massacre" du Printemps)という見出しまでが躍った。サン=サーンスは冒頭を聞いた段階で「楽器の使い方を知らない者の曲は聞きたくない」といって席を立ったと伝えられる。しかし翌年の演奏会形式での再演では大成功を収めて評価を確立し、ロンドンやニューヨークでも高い評価を得ることとなった。
こんなエピーソードが興味深い。そして少し前にシャネル&ストラヴィンスキーを観ていたイメージも重ね合わせて。。。
演奏のほうは冒頭しばらく経ってからの、弦楽器でのザッザッザッでもう鳥肌、、、。弦楽器を美しく歌わせ、深い呼吸でオーケストラの音をたっぷりと響かせる、と定評があるズービンメータならでは、と感じます。
マーラー、交響曲1番「巨人」。若きウェルテルの悩みに共通すると、マーラー自身が言っていると言われるジャン・パウル著教養小説からのタイトル。マーラー28歳、この若き才能が書かせた作品は当時大衆の評はよくなかったらしい。。。理解しようと心を開いて聴いていれば受け入れられても、途中葬送行進曲が挿入されていたりするのは賛否あっても仕方がないのかもしれません。でも日本人の私はメランコリックで民族音楽的な響きに惹かれます。4つの楽章に分かれているはずが、1楽章か、2楽章をどこかで切ったような気がしました。でも3楽章から4楽章はそのまま続けて演奏したので結局4つに分かれていたのですが、、、。4楽章は何度も何度も大きな盛り上がりの波を繰り返しながら、若々しく堂々と勝利を誇るかのようなラスト。ブラボーの嵐でした。
マーラーは交響曲第5番以外、あまりじっくり聴く事が無くて苦手意識がありました。でも、作曲家のどんな時期に書かれたのかを知っておくだけでも楽しみ方が深くなります。こうやって、曲を知れば知る程好きになるのですね。
# by renoncule-a | 2010-11-10 13:46 | 音楽





